口裂け女
口裂け女ってどんな話だっけ?
口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に 「私、綺麗?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの。「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺される、と続く。
口裂け女の特徴
- 真赤な服(返り血が目立たないように)を着ている。
- 真白な服(返り血が目立つように)を着ている。
※上記二つはまったく反対の表現であることも特徴のひとつだろう - 出刃包丁や鎌、大きなハサミ、鉈、斧、メスなど多様な刃物を持っている。
- 声が猫に似ている。
- 目がきつねに似ている。
- 空を飛べる。
- 100mを6秒で走る。
- 身長が2メートル。
- 口裂け女は3姉妹。
- 外灯や電信柱のところに立っている。
- 口にキスすれば助かる。(※かなりリスキーなので猛者の方はぜひ)
さまざまな説 一覧
- 1754年の農民一揆の処罰者の怨念を基にした妖怪伝説が変化した説。
- 明治中期、滋賀県の女(おつや)が逢瀬の為に峠を越えた姿がモデル説。
- 明治または大正に岐阜県の女が 逢瀬の為に峠を越えた姿がモデル説。
- 精神病院から脱走者で、口紅を塗りたくり口が裂けているように見えた説。
- 整形手術に失敗し理性を失った女性説。
- 日本統治下にあった頃の朝鮮半島ですでに口裂け女の話があったとの説もある。
1754年の農民一揆の処罰者の怨念を基にした妖怪伝説が変化した説
宝暦4年(1754年)に美濃国郡上藩(現・岐阜県郡上市八幡町)で農民一揆が起こった。
しかし当時の日本では階級制度が非常につよく、農民の身分は低いものでした。
その為、一揆を起こした農民のほとんどは国に仇を成したわけですから、死罪を免れませんでした。
特に犠牲者の多かったのは白鳥村(現・郡上市)で 、特に女性が犠牲になったという伝承が多く残っているそうです。
死罪となった農民たちと女性の怨念が今もなお残っていると言われており、それが妖怪伝説へと変化しました。
そしてそれがさらに容を変え、現在のような都市伝説(口裂け女)となったのです。
明治中期、滋賀県の女(おつや)が逢瀬の為に峠を越えた姿がモデル説
明治時代の中期、滋賀県の信楽に実在した”おつや”という女性には山を隔てた反対側の町に恋人がおりました。
”おつや”が恋人に逢うためには、山を越えねばなりません。
しかし女性が独り身で山道を行くのは危険な為、 白装束に白粉を塗り、頭は髪を乱して蝋燭を立て、三日月型に切った人参を咥え、手に鎌を持ち、この異様な姿で峠を越えました。 その姿を見たものが噂を広め、『口裂け女』となったのです。
明治または大正に岐阜県の女が 逢瀬の為に峠を越えた姿がモデル説
時代の幅と県が違うだけで、内容や姿は”おつや”と同じである。
精神病院から脱走者で、口紅を塗りたくり口が裂けているように見えた説
岐阜県の大垣市で精神病のため、座敷牢に閉じ込められていた女性がいました。夜になると女性は外出、徘徊を繰り返し、口紅を顔の下半分に塗りたくっていたため、それを見た人が口が裂けている女が徘徊していると勘違いしてしまった。
また、多治見市の心霊スポットのトンネルで精神病の女性が子供を脅かしていたという話もある。
整形手術に失敗し理性を失った女性説
1990年代という比較的新しい説である。
1990年代、医療ミスや整形手術などがさまざまなメディアで話題になったことで、それに伴って広まった。
女性の美に対する憧れや探求心と、それに伴うリスクや恐怖が『口裂け女』という容となったものだろう。
日本統治下にあった頃の朝鮮半島ですでに口裂け女の話があったとの説もある
日本では江戸時代にも口裂け女の噂があったというお話がありますが、韓国には朝鮮半島時代にも噂があったという話もあるそうです。
韓国での口裂け女の内容はほとんど日本と変わりません。
あえて違いを挙げるなら、3姉妹で行動していることでしょうかね。
番外編
江戸時代の口裂け女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江戸時代の怪談集『怪談老の杖』には、江戸近郊にキツネが化けた「口裂け女」が現れた、との話がある。
大窪百人町(現・東京都新宿区)で、権助という十代後半の男が雨の中を傘をさして歩いていると、ずぶ濡れの女がいた。権助が傘に入るよう言うと、振り向いた女の顔は、口が耳まで裂けていた。権助は腰を抜かし、気がつけば老人のように歯が抜けた呆けた顔になり、言葉も話せなくなった挙句、息を引き取ったという。
江戸時代の読本『絵本小夜時雨』の記述では、以下のようにある。
吉原遊郭の廊下を歩いていた太夫を客が戯れに引き止めると、振り向いた太夫の顔は、口が耳まで裂けていた。客はそのまま気を失い、その遊郭へ行くことは二度となかったという。