歴史

弥生時代の遺跡で有名な場所から当時の生活をひもとく!

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弥生時代といえば土器や稲作ってイメージがありますよね。


あとは色々なくにが栄えていて、たくさんの争いがあったのもこの頃です。


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引用元:縄文と古代文明を探求しよう!


かつて弥生時代には多くのくにが存在していた事を示す様に、日本全国には弥生時代の遺跡というのが数多く残っています。


しかし弥生時代の遺跡とはどの様な遺跡だったのか?気になりますね。


ということで今回は弥生時代の有名な遺跡の場所などから当時の生活などをひもといていければなと思っています。


詳しく調べてみるので是非最後までお付き合いくださればと思います。


まずは弥生時代の有名な遺跡について調べてみたので、見ていきましょう。

弥生時代の遺跡で有名な場所

弥生時代で一番有名な遺跡といえばまず吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)です。




吉野ヶ里遺跡とは佐賀県の東部に広がる吉野ケ里丘陵で発見された弥生時代の大規模集落のあと地です。


これだけ大きい弥生時代の遺跡というのは他に無いので、国からとても重要視されていて特別史跡(とくべつしせき)にも指定されています。


他にも静岡県にある登呂遺跡(とろいせき)なども有名な遺跡ですね。



ここは発掘当時広大な水田跡が見つかったことでも有名で、その水田に使われていた水路の技術は現代から考えてもとても精巧だそうです。


ここも吉野ヶ里遺跡同様、特別史跡に指定されています。


そしてこの遺跡の特に凄いところは、復元された水田跡で今でも米作りをしているということです。


しかも米作りの体験なんかもすることができます。


弥生時代の遺跡で米作りができるなんてロマンがありすぎますね。


そして最後なのですが福岡県にある板付遺跡(いたづけいせき)というのも有名です。




ここは2300年前の水田跡が見つかった、日本で最も古い米作りのむらの1つで、国の史跡に指定されています。


ここも水田が復元されていて、登呂遺跡同様に米作りの体験を行う事ができます。

多くの遺跡から見えた弥生時代

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引用元:縄文と古代部名を探求しよう



弥生文化を伝える遺跡というのは日本全国に残っていますが、その全てに共通するのは、むらが少し高い柵に囲まれているということです。


これは外敵(ほかのくに)がいかに多かったかという事の証明であると考えます。


また敵が来ていないか警戒するための物見櫓(ものみやぐら)という建物がある弥生遺跡も存在します。


ということは常に敵への警戒をしなければいけない状況であったと推測することができ、いつどこで戦争が起きても不思議ではない状況の中で暮らしでいたのではないでしょうか。


そして多くの遺跡の中には立派な水路跡や大きな水田跡がある事が多く、教科書などにも載っている通り、稲作が生活の中心になっていたという事も分かります。


建物に関しては、住居は縄文時代から引き続き竪穴式住居が使われていて、高床式倉庫という一見住めそうな建物も登場するのですが、これは米を保存する倉庫としてしか使用されていなかった様です。


つまり簡単にまとめてみると、縄文時代とは違い稲作によって生活は安定してきたが、その分戦争が多く常に怯えていなければいけない時代だった。


という感じだったのではないでしょうか。


生活を少しでも安定させる為にと稲作を始めたのに、他に目を向ける余裕が出てきた為、戦争がひんぱんに起きる様になってしまったという事なのだと思いますが、なんだか皮肉な気がします。


まとめ


弥生時代の遺跡は日本全国に様々存在しますが、そのどれもに水田跡というのが存在しました。


このことからもいかに米作りが盛んだったのかという事が分かります。


今でこそ簡単に食べられるお米ですが、弥生時代当時はきっとライフラインだったに違いありませんね。


今回は弥生時代の遺跡で有名な場所から当時の生活をひもとくについてお伝えしました

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